池田山麓物語〜古老に聞く(3)〜
2009.11.07 Saturday 20:33

 池田山麓物語〜古老に聞く(3)〜

1,日時 2009年10月17日(土)20時〜22時
2,会場 土川商店
3,話し手 小川義徳 河野実 草野義明
  聞き手 土川貞利 土川修平 松原一巳
4,テーマ  村内の地名(通称)

・ミロク(弥勒?):天理教会の北西あたり 
・フキイリ:「沼」地内にあり、水が噴いて、池状になっていた。多くの魚が生息し、子ども      たちは 魚取りに熱中した。
・コグライ:井川(一之井用水)が分水する東あたり
・タカイ;コグライの北あたり
*井川の分水点には番小屋が建ち、水番が詰めた。水番には昼夜の番と小番があり、各集落ご とに該当時間を勤めた。交代するときには旗を揚げ太鼓をたたいた。該当時間は石高により 決めた。
*水番は神間寺でも行った。
 般若畑と宮地で水争いがかつて起こった。和解したことを記念して2月に般若畑ではうどん 祭りが行われうどんを振る舞った。現在、秋祭りでこれにちなんで、うどんが振る舞われて いる。
*田に水を当てる際には、「カラセキ」いってジョリンで排水口を止めた。下の田からこの作 業を行って、上の田から水を入れた。下の田は漏れ水によって大部分が水を入れることがで きた。
*シンカンジから般若畑への水利は、「西法寺のおぶくさん水」の必要性から引かれ始めた。その 後般若畑地区内の田への水としても利用されるようになった。
・シンカイミゾ(新開溝?):明和義民碑付近から流れる用水で、田の地名にも当てられた。
・ワヒチヤマダ:ワヒチは開墾した人の名か。
・ツイキボタ;宮後墓の南あたり
       東端に水車小屋があり、2基の水車が設置されていた。村で管理し、米を突い       た。代金はかからなかった。
・ヘンガイト;
・イナリバタ(稲荷畑?):おそらく地内に稲荷が祀られていたと思われる。社があったとお             もわれる痕跡が現在も見られる。
・ヨコタバタ:天満の東で、裏の川墓地の北あたり。このあたりの田に水を引くのに、大変苦       労した。
・ナカミゾ(中溝?)宮地小学校の東をいう。溝そのものだけでなくその辺り一帯をいう。
・ノ(野?):裏の川墓地の南東あたりで、現在は工場が建ち並ぶ。記録には墓域としての名      が残っていた。
           梅桜寺や熊野神社の土地から上がる年貢米のことを「野米」といった事から、梅      桜寺や熊野神社とかかわりがあった土地とも考えられる。
・サカキ(榊?):榊神社付近。榊神社は現在河野正通氏の屋敷内の北西角にある。かつては        やや西にあったが、道路にかかるため現在地へ移転した。
        この付近には、かつては火の見櫓と地元消防団の車庫があった。
・ダイモンサキ(大門先):熊野神社参道の東端(河野正通氏の北東角あたり)
・オキ(沖?):大門先より東一帯を総称して呼んだ
・ヨコタイ(ヨコタ井?):大門先を南北に流れる用水。その付近一帯も呼ぶ。
・ゴエンド(ゴンゲンド):小川静男氏宅の東側を流れる用水。
・裏之川:土川正明氏宅、土川精男氏宅、土川靖氏宅の南側を流れる水路。
・七つ墓:「ノ」から東あたりに点々と墓が建っていたという

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池田山麓物語〜古老に聞く(2)〜
2009.10.11 Sunday 09:21

 池田山麓物語〜古老に聞く(2)〜

日時 2009年9月10日(日)20時〜22時30分
会場 土川商店

話し手 小川茂基、小川義徳 草野義明 河野実
聞き手 土川貞利 土川修平

〈池田山の地名等(前回の続き)〉
「シデノミヤ」 山麓道路上に住吉神社と大谷の間の4畝程の範囲
幾分平地になっている
地域内にはいると怪我をするという言い伝えがある。
近くで水が噴くのでこれを祀った可能性もある。
山の神という説もある。

「クシノコバ」天神山の上。わらじを整えた。

「馬頭観音」40年程前は現在地より50mほど下の山道沿いに安置したあったものを林道が      できたので、移転した。跡地には現在も土台が残っている。
      かつても現在も村人がお祀りしたことはない。

〈年中行事〉
1月「元日」    村の役員が焚き火をたき参拝者を迎える。
  15日 「粥漬け(かいづけ)」おなご竹(女竹)を20〜25センチ程に切ったものを                作柄(早稲、中手、晩稲は必ずあった)の数だけ縄でつな                ぎ米と小豆の粥の中へ入れる。
 引き上げ竹の中に入った米や小豆の数で豊凶を占い、結果を拝殿の賽銭箱の前の張り出した。
粥ができると川柳院の鐘がつかれ、これを聞いた村人が箸と椀をもって集まった。
小学校にも知らされ子どもたちにも振る舞われた。
午前中に行われ昼に食べた。            
                           *いわゆる「左義長」もこのときに行ったが、「左義長」と                いう言葉は使用しなかった。多くは「かいづけ」の行事の                一環としてうけとめていた。

2月「初午」 始めての午の日の夕方地区で鰯を用意して稲荷神社の前で焼いて振る舞われる。      当番屋敷〈班〉の年行事にあたった家はいなり寿司をはじめ諸々のごちそうを用      意し参拝者に振る舞う。この年行事にあたるのは生涯でもあるかないかの事であ      り、その感謝の意味を込めて自主的に用意した。当たった家は献立等を前に当た      った家に聞いて準備した。
  11日

 18日「桜掘り〈桜植え〉」 午前中、青年会が中心になって山から桜の苗木を掘り出                してきて熊野神社参道に植えた。一人1本は必ず掘り出し                てくる事になっていた。植えた後は食事会等が催された。                桜は、山のどこから掘り出してきても許された。
      
    「梅桜寺の大般若」 現在と同じ。梅桜寺の最後の住職は「高木元勇」氏であっ                た。
        「野米」梅桜寺領の年貢米を納めた。

3月

4月 8日 「花祭り」梅桜寺にて仏像に甘茶を注ぎそれが振る舞われた。

   16日 「幟立て」(青年会による)

      17日熊野神社の神事、夕方には境内で「提灯ちぎり」、参道には各家が御神灯を立て
         た。
        午後に御輿がでた。大は青年会、中は小学校高学年以上が担いだ。小学生が担い
         だ「神楽」もあったがこれは、誰かが寄進されたもので、歴史は古くない。戦時
         中に途絶えた。
      18日提灯ちぎり、御神灯をともす。
            香具師は殆ど来なかった。

   19日「幟おろし」
            「弓削寺の競馬」県内外から競走馬が集まった。
              飾り付けた馬が熊野神社の参道を登った。
              紅白餅も馬の背にのせられて上がった。
              大飛び、中飛び、小飛びの出場種目があり、それぞれの景品を              争った。

      「谷ぼり」村民総出で用水路の掃除を行った。

5月

6月

7月 「水洗ぼり」津島神社の祀られている御水洗の掃除を行った。青年会中心に蓑笠を着け         行われ通りゆく人に水をかけた。
   「野休み」農作業が一段落した頃を見計らって村中「野休み」として農作業を休んだ。        家庭では饂飩を食べた。土川商店では小麦と交換に饂飩を販売することもあ        った。
8月 「幕干し」幟の虫干し
   
  24日 「地蔵盆」梅桜寺の地蔵

9月   「梅桜寺の施餓鬼」
  
  18日「熊野神社の祭礼」小祭りといって本祭りである春祭りと区別した。 
                            春祭り程の賑わいはなく、祭りという意識も低かった。幟も拝              殿前に2本、大門先に2本立つだけである。(かつては春祭り              だけであったとも聞く)

          「道直し」村人総出で道路の補修を行った。

10月

11月  「秋あげ」収穫が終わり農作業が一段落した頃、村中農作業を休む。家庭では「お          はぎ」を作った。

      23日「新嘗祭」熊野神社に稲穂を備え神事を行った。

12月16日「報恩講」青年会が会場に提供いただける家を交渉し、村民がお参りをする。青           年会員は、会場で読経を続ける。高等小学校2年になると青年会に入           会し、経を教えられた。

            「しめ縄張り」12月最後の休日に、村の役員が集まり熊野神社に張るしめ縄              をなって設置した。

            「除夜」梅桜寺の鐘楼で除夜の鐘を突いた。

*若者は農作業を休みたい時は、村役に交渉し「遊び日」にしてもらった。その時には梅桜寺の鐘を突いた。また、雨天等で農作業に向かない日も「おしめりいわい」といって鐘を突き農作業を休んだ。

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池田山麓物語〜古老に聞く(1)〜
2009.10.11 Sunday 09:13

 池田山麓物語〜古老に聞く〜

第1回 2009年8月7日(金)20時〜22時(於 土川商店)

・話し手  河野実 小川茂基 小川義徳
・聞き手  土川修平 土川博 土川貞利 横山順一

テーマ 池田山の地名

・権現山:熊野神社の跡地。農民道場の下付近

・大津六石:大津の山は入会山で6石の年貢がかかった。宮地地区だけでは負担が大きいので郷内の各地区に「かせば」として割った。地区割りの図面は河野和通氏が持っている。

・赤山:かつて池田山を「赤山」といった。それは樹木のない赤肌をさらした山であったから。そのため木を切ることは制限された。山崩れを」防ぐために「アカシヤ」を村民が植えた。(小川茂基氏は幼少の頃祖父に連れられて植えに行った記憶があるという。)

・善福寺古場:かつて「宝池院」といった善福寺が立っていたとされる。石碑が建つ。瑞巌寺と行き来した。    

・寺尾:コウトケ谷と橋ケ谷との間の尾根をいう。下ってきたところに平地があり「寺尾の壇」といいかつて寺があった跡だという。(町史には、その規模から寺の存在には否定的)

・トロッコ道:禅蔵寺と大津谷、寺尾と橋ケ谷をむすぶトロッコ道があった。材木、資材を運搬したという。

・坊主街道:山麓にある寺を結ぶ街道をいう。

・農民道場:戦前、児童や青年にたいし、時には宿泊し集団訓練や国家主義的な道徳教育を行った。建物は宮地村役場として移築された。

・狩猟:シカ、イノシシが多い。10年ほど前は狩猟をするためには入山料的なものを取っており大津谷管理組合へ納めた。

・池:一箇所は畦を作ることで人工的にできた。もう一箇所は自然の池で三ツワ谷を登り切ったあたりにある。三ツワ谷の途中にも水の貯まっていたところがあったが現在はない。

・水飲み場:2箇所あった。

・天神山:天神社の社領。

・七曲がり:登山道の曲がりくねった箇所をいう。

・年寄り山:大津谷右岸の田中地区に割った山あたりのことか。土川幸輔は生前、お茶を点てるのによいという清水が湧いていた話していた。

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池田山賛歌
2009.10.01 Thursday 19:42

                           『池田山賛歌』

池田山は薬草の宝庫『伊吹山』山塊の東方に位置している
太平洋側に面しているので、暖地性の植物に恵まれ多様性である
桜の名所「霞間ヶ渓の桜」は知名度が高く
春の行楽地としてのメッカである
幼少のころ桜を見学に母に連れられて来たことがある
池田山はハングライダーの基地としてもよく知られている
一度飛んで見たいと思うが勇気が無い
池田山の南部には温泉があり、健康保持と憩いの場所である
池田山の山麓に広がる広大な平地にはお茶畑が続いている
お茶こそ、日本人の文化の故郷、利用することは健康のための極意である
ゲンノショウコの煎じたものとお茶があれば免疫力保持には心配ない
池田山は直接、美濃平野に続くので急な斜面である
池田山から流れる谷も急流である
豪雨による土砂災害は心配だ、自然林は災害からの守り神だ
谷筋にはオオバノハチジョウシダなどのシダ植物が豊富である
シダ係数が高く暖かさを示している
池田山は東に広がる山麓に続く田畑は猛禽類の餌場であり
池田山を中心に豊かな生態系を出現させた
山麓でチョロギを採取したことがある 
紫蘇葉で赤く染めたチョロギの漬け物は大好物
中学生の頃友人と宮地の里山でよく遊んだ
秋には栗を拾い、河原でアケビの果実を食し、フジの豆を採った記憶がある
日本で初めて近代的な植物図鑑『草木図説』を作った飯沼慾齋も池田山界隈に採薬のため度々訪れている
池田山の北端で「大葉コバイモ」を採った記録を『草木図説遺稿』に残している                                            コシノコバイモ
「大葉コバイモ」は北陸特産の「コシノコバイモ」と思う
度々出かけているも、未だその「大葉コバイモ」に遭遇しない
池田山界隈にはイカリソウ、ゲンノショウコ、オオバコ、カキドオシなどの
薬草が多い
池田山は生活と文化の源泉である
池田山の自然を研究し、薬草で健康を維持したいと想う

                   平成21年4月18日
                                     岐阜薬科大学名誉教授 水野瑞夫

(2009池田山麓クラフト展で「池田山の薬草」をテーマに発表した時の顧問の水野先生からいただいた文章である。)

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美濃国池田山学会設立趣旨
2009.10.01 Thursday 19:37

                    美濃国池田山学会設立趣旨
                     〜池田山を考える〜
 伊吹山系に含まれる池田山は、海抜923.9mの岐阜県西部に位置する山地である。北は小島山山塊と粕川によって切断され、南の赤坂山地とは梅谷によって区分される。東側には池田山断層があり、起伏の少ない山頂部に対し東斜面は急角度で濃尾平野を遮断する壁となっている。谷は深く急峻で平地との境には扇状地が発達している。
 気候的、地形的要素により、多くの生物が生息しているほか、交通条件が外部との動植物の移動を容易にしている。
 地理的には、西日本と東日本、太平洋側と日本海側を区分する位置にあり、文化的にも興味深いものを有している。
 こうしたなか池田山麓一帯は先土器文化以降現在に至るまで、人類の営みが絶えることなく連綿と続いてきた。その人々の刻んできた歩みは、池田山の存在を切り離して語ることはできない。そしてその確かな歩みは自然環境を受け入れ、伝統を尊重し、堅実さを旨とする価値観を生み出した。それは少なからず社会全体にも影響を与えている。
 池田山から山麓一帯に広がる豊かな緑の中で人々は、季節の移ろいをしっかりと受け止めながら、穏やかな日々の暮らしを立てている。今、こうした暮らしぶりを評価する声は高まりつつある。 
 近年になって、生活の形態が大きく変化し、価値観が多様化してきたなかで、確かなよりどころが一層求められている。池田山およびその山麓一帯の個性とそれが育んだものも、そうしたものとして期待されるにちがいない。今一度、池田山を自然、歴史、民俗、経済、芸術などあらゆる方面から、総合的に検証し、その本質と位置付けを確認するとともに、将来における役割を提言したい。それが求められる未来への指針になると確信する。

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美濃国池田山学会規約
2009.10.01 Thursday 19:21

   美濃国池田山学会(仮称)規約
(名称)
第1条 本会は美濃国池田山学会と称する。
(目的)
第2条  本会は岐阜県西部に所在する池田山を歴史、民俗、自然、経済、芸術など多角    的、総合的に検証し池田山の果たしてきた役割を確認すると共に、それをとおし    て池田山一帯、ひいては社会全体の望ましい未来を創造するための提言を行うこと      を目的とする。
(構成)
第3条 本会は、目的に賛同する有志からなる会員をもって構成する。
(役員)
第4条 本会は、会員の互選により次の役員を置く。なお役員の任期は1年とするが再任   を妨げない。
   会長(1名)副会長(若干名)書記会計(1名)監事(2名)相談役(必要に応    じて設置) 
(事業)
第5条 本会の目的を達成するために次の事業を行う。
    (1)調査研究
    (2)成果の公表と社会的還元
    (3)池田山一帯の自然および歴史的環境の保存、活用事業                 
        (4)池田山一帯の活性化に関する事業
    (5)その他目的の達成に資する事業 
(経費)
 第6条 本会に関する経費は、会費、寄付金、その他の収入をもって当てる。
   2 会費は、会員より徴収し、その額は年1,000円とする。
      3 会計年度は4月1日より翌年3月31日までとする。
 (入会)
第7条 本会への入会は入会申込書を会長宛に提出するとともに、当該年度会費を納入す   る。
 (退会)
第8条 本会から退会する場合は次のとおりとする。
  (1)該当者が退会を申し出た場合。
  (2)会費の納入が滞った場合。
  (3)総会に諮り会長が退会を勧告した場合。  
 (改正)
第9条 本規約の改正は、総会において出席者の過半数の賛成をもって行う。

 

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